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町屋

塩谷町屋の特徴は

玄関から通り(土間の続く通路)かほとんど南面に配置してあり、入口付近に大戸(くぐり戸)がある。通りの右側には流しや便所があり右側には、かまどのある家もある。辺りの奥から、部屋が連続して配置され、板の間→茶の間→座敷となっている。板の間には、囲炉裏やじょ棚があり、茶の間には、仏壇や神棚、囲炉裏がある。板の間、茶の間は、内法の鴨居上に欅のムク板、化粧幕板が田方に廻され、欅造りの柱や茶箪笥などと共に、落ち着きの重厚な空間が漂っている。座敷は、続き間となっていて、間仕切りの欄間と床の間、間仕切り壁下と書院欄間が3箇所共、すかし欄間となっているのが特徴である。それも、家によって形が違い、もてなしの空間として、京文化が船を渡って来たものとされている。北側に玄関及び通りがある町屋も、まれに見かけるか、それは分家として、本家に敬意を表して、本家側に玄関をもってきたものと推測てきる。茶の間と座敷の間仕切り用建具は「ささら戸」があり、欅のムク材を使月しており、座敷側は、内障子で取外し式となっている為、夏場は外して、風通しが良くなっている。現在、30軒近く現存してあるとされています。
 塩谷港で栄えた頃の、北前船が寄港したなごりが、どことなく町並みから感じとれ、特に土蔵の蔵がある家には、数々の文化の品々(屏風・掛け軸・陶器・古文書他)が眠っていて、座敷の京造りも合め、湊によって、あらゆる文化が入ってきたものである。中でも、冠婚葬祭になると、伊万里焼きや九谷焼きなどの食膳が人数分そろっている家も数多く、いかに文化伝来したかが伺える。
 外観は、ほとんどの家が切り妻屋根で妻入りで統一され、出格子があり町並みを形成している。どの家も、道路に面して、縁側がある家かほとんどで、祭礼の時、出格子を外し、お神輿さまを向か入れる造りになっている。また、道路が広いのは、平安の昔からお神輿さまか通る為、及び北前船への積荷の為と意味付けられている。
 外部の出格子も商店や職種などから格好が多少違っているのも持徴の一つである。また、塩谷は、昔から湊町商人が多く、塩・味噌・醤油・酒を製造、船積みしてたことで湊町商人の町屋も多く残存する。特徴の一つとして、建物の続きで後方に土蔵が連続して配置してある。土蔵の人口の扉は、4重構造となっていて、特に2層目の鍵は2箇所あり難しい構造となっている。この中には数々の責重品があり、古文書が残存する家もある。内部においては、天井の高い大きな吹き抜け空間が歴史を刻んだ化粧梁や柱と共に、いかにも癒しの賛沢な空間を醸し出している。
まとめに、塩谷は現在約330軒近くの世帯で形成されていますが、新潟大学の調査からも歴史的建築物が対象地区全体で約38%の残存率をほこり、きわめて昔の町並みが残っていると言える。この他にも筑波大学の教授が古文書を調査し文献を出している。建物の中には、文化財に申請して登録できうる建物もかなり残存していて県及び国もその町並みには注目し、ご協力を待ている現状であります。地域性からも、国道から袋小路状態に位置する為、住民以水の車の行き来は少なくゆっくりと町歩きが出未る環境であります。そういう環境があったからこそ、自然のままの空気が流れ、長い時を過ぎてもあまり変わることなく、保存できたと言えるでしょう。そして、なによりも海に面した集落でもあることから、独特の潮の香りが漂う素朴な町並みを醸し出しているのではないでしょうか。
最後に、今後このような綺麗な町並みが半永久的に存続できるよう、切望し、自分達が住む塩谷という良さを再認識し、後世に引き継がれることを願って止みません。
                              文 塩谷活性化推進協議会


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