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マルマス蔵

明治元年に

母屋の土蔵が登記されたことからして、当然、その前年が江戸時代であるため、少なくとも江戸時代からは既に、創業していたことが偲ばれる。
江戸時代は、酒の醸造業も盛んで、塩谷では桶職人が盛んだったとのことで、マルマスの蔵でも、醤油、味噌を醸造する傍らで、桶の製造部があったとされています。だから、今でも、多くの桶が館内に保存されていたと考えられます。
北前船が塩谷港にに寄港していた頃は、特に「北海道全土の炭鉱」に北前船に乗ってマルマスの醤油が渡って繁盛した歴史があります。  最盛期は蔵の樽がフル回転だったことが偲ばれます。
当時は、蔵の裏側の小川より川船に物資を積み塩谷港で荷の積み替えを行っていました。蔵の中に展示してある提灯は、大正時代のものであり、また、蔵ステージ棟は、古い酒蔵を移築したものである。また、藤塚浜にある、ふじの井酒造は、マルマスと関連があったとされている。
港町商人が栄えた頃、塩谷ではマルマスの店主とカネト(瀬賀材木店)の店主が商売を競い合ったとされています。マルマスは昔で言う「旦那様」であり、数いる蔵若い衆に、家を建ててあげたり、その他、いろんなことで面倒身がよかったということです。
北海道全土の炭鉱に醤油を卸していたマルマスですが、平成2年の最後の炭鉱「夕張炭鉱」が閉山を向かえてからは、醤油.味噌を地元売りと行商に切替、商売を余儀なくされました。
そして、とうとう平成14年、後継者もいなくなったことも重なり、マルマスの蔵を閉めることに
なりました。
思えば、子供の頃の絶好の遊び場でもあったことで、今でもその様子がありのまま残されていることで、思いを抱かせながら、何とも言えない、歴史的空間が漂っている気がいたします。
言ってみれば、塩谷の歴史的建造物であり、塩谷の財産でもあり、県の財産ともなり得ます。
そんな貴重な建物を保存すべく、また、地域活性化の交流の場で中心となるようにと願い、我々、塩谷活性化推進協議会が立ち上がりました。
そして、約1年掛りで、土日を返上して、活性化委員自らの手で、蔵ステージを完成させました。蔵ステージのある部分には、約8個の樽(1樽:5400リットル)があり、それを解体して、その部材(杉板)を床に敷き込み、壁に張り、蔵の一体感を出しました。
最後に、今後、この「マルマス蔵ステージ」で年間に数回、イベント等を企画し、車で出かけなくとも、歩いて気軽に来れる、まさに老若男女、地元を愛する人が一人でも増えることを願って止みません。
そして、現代社会の現代の建物にはない、本物のムク材の良さが漂う空間がマルマス蔵を代表に、塩谷町屋にはその他、素晴らしさに共感して頂けるものと思います。
                文章〜塩谷活性化推進協議会〜


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