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塩谷基地 大好きな『塩谷』の情報をインターネットを使い広く発信大好きな『塩谷』をより住みやすく、生活しやすい場所に大好きな『塩谷』のためになるボランティア活動

塩谷海岸

塩谷の生活は海からの恩恵を多大に受けていました。
荒川河口に位置し越後平野と日本海に囲まれその昔、北前船の寄港地として 醸造、船問屋、船大工など
さまざまな産業が盛んになり(堀川が荒川に流れ込んでいたため 商いをしている所の蔵から船で荷物を運ぶのに都合がよかった)輸送や物流の要-かなめ-の港町として栄えました。漁業で生計を立てる人も多くいました。荒川の上流から流れつく木などを拾い 薪や焚きつけに使っていたので浜はいつもきれいでした。
終戦後物資不足や安定した収入を求め(海が荒れる−しける-と船が出せない)塩焚き(塩作り)が始まりました。塩焚きの小屋を建てるための砂浜は広く海水は無限にあり、塩焚き小屋は100を超えたそうです。
 浜ぐみやハマナス、ハマヒルガオ、ハマボウフウ(今はめったに見かけませんが…)などの自然にも恵まれ人々の生活は海に密着していました。
現在では海とともに生きるというより、心のオアシスとしての役割が大きいようです。
毎年春になると区で海岸清掃をして冬の間の漂着物を拾い海岸清掃をしています。
夏になると子供はもちろん大人も海水浴やバーベキューを楽しみます。
冬はこれぞ日本海!というくらい荒れ、海の底が見えそうなほど大きな波が打ち寄せてきます。
一年を通して磯釣りが盛んです。また、漁村だった名残からか 鶴岡市の善宝寺を商売の神様として信仰している人も多く見受けられます。
海辺の砂浜の砂は白くとてもきれいです。その砂浜が海岸浸食により失われつつあります。

2013年5月28日の様子


バナースペース

塩谷基地 しおやベース

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